
思ったんだけど書いたことがストレートに理解されないというよりは、大前提としての物事に対する捉え方が大きくズレていたら話は噛み合わない。おまけに、訴える人が必死になればなるほど、オーディエンスが裁判官みたいなポジションで勝手な”判決”を下す。本来は新しいアイデアや見解を生み出した人が可能性を広げようとしている分だけ世の中にとってプラスだと思うけども。いや、プラスとも限らないか。しかし検討の余地はある。「大前提としての物事に対する捉え方」を合わせる作業は一朝一夕では難しい。自分なりに広範な知見をもとに目の前の小さなアウトプットをしているつもりでも、他人からすれば単なる小さなアウトプットにしか見えないことがある。実際に小さいじゃないかと言われたら、お前行間を読む力が足りてないんじゃないのと言い返したくはなる。とはいえ、裏にあるものが見えないお前が悪いと言うわけにはいかないし、実際に裏にあるそれがどれほどのものかは出力してこそ明らかになるという側面もあるし。というわけでフル出力ですべての前提を一気に明らかにする、というわけにもいかない。時間的な制約があるから。特にビジネスでそんなことやってる時間はないと思う。そうなるともはや組織階層の指揮系統がものをいうことになるし、議論して、とか意味ないじゃんかと思う。これ以上は一旦沈黙する