
今日の一枚
- 山間にぽつねんと存在する石
今日の一文
読書の必要はただ一冊の本の人間にならないために、云い換えれば、一面的な人間にならないために、存在するのである。
『如何に読書すべきか』(三木清)
思っていることを素直に書くと、本の一文をここにコピーペーストすることに少しばかり躊躇する。故人の書物を紐解くのなら、そこに書かれたものは一種の自然物のような趣があって、野草を摘み取るようにそれを自由に利用しても大丈夫という感じがする。ご存命の著者の一文を引っ張って掲げるのは、なんとなく、失礼に当たらないだろうかとか、それに関連する何事かを表明しないといけないんだろうかとか、法的にというよりも、社会通念的に問題ないかが気になってしまう。
どうして文章を抜き出してこんなところにコピペするのかというと、せっかく自分が読んだものを自分の記憶に留めて血肉化するにあたり、いわゆる「アウトプット」、それも公開されたwebページという微妙な緊張感の中でコピペする作業そのものに、自分の学習的な意義がある、ことと、自分が読んだ「すばらしい書物」を世に広める、という後付けっぽい意義がある。
とりあえず上記の微妙な思いがあるので、本からの抜き出しは今日でやめる。話の流れで必要になったら抜き出すことにしよう。そんなことになるかわからないけど。
このブログは試験運用中である。アメーバブログみたいなプラットフォーム?の外でやっており、特に訪問者がいる兆しもない。暖簾に腕押し、手応え0である。いまからLINEプロフィールにこのブログのドメインを貼り付けたり、Facebook で宣伝するかというと、それもアリかもしれないけど、試験運用中なのでやめておく。いまある緊張感は、「将来的に読まれる」という前提からくるもので、実際誰かに読まれているわけでもない。虚しいというよりも、おそるおそる取り組んでおり、正直これくらいがちょうどいい。といっても、もちろん楽しくやっている。とりあえず100日くらい試験運用、という感覚